2017年08月31日
訴訟最終告知はがきの相談急増 県警、注意呼び掛け
「総合消費料金に関する訴訟最終告知のお知らせ」と題した不審なはがきが届いたとの相談が29、30の両日、福井県警に計30件以上寄せられた。福井県内では今年、はがきを使った同様の架空請求詐欺で3件約3千万円の被害が出ており、県警は「裁判に関する連絡がはがきで届くことはない」と注意を呼び掛けている。
県警生活安全企画課によると、はがきは民事訴訟管理センター名で、架空の訴訟取り下げ最終期日を記載。問い合わせ先として「03」で始まる電話番号が書かれている。福井、敦賀市など県内12市町の住民から相談があった。
同様のはがきに関する相談は4月から寄せられるようになり、6〜7月にかけては坂井市内の70代男性が計約2500万円をだまし取られた。
この男性は、はがきに記された連絡先に電話し、弁護士を名乗る男らから「家族が購入した貴金属の代金が未払いになっている。訴訟を取り下げるには供託金を支払う必要がある」などと言われた。十数回に分けて、コンビニで電子マネーカードを購入。カードの利用番号を教えたり、伝えられた住所に現金を送ったりした。
この事件を巡っては、男性が送った現金200万円を受け取ったとして、フィリピン国籍の埼玉県内の男が8月24日、詐欺の疑いで坂井西署などに逮捕されている。
県警生活安全企画課によると、はがきは民事訴訟管理センター名で、架空の訴訟取り下げ最終期日を記載。問い合わせ先として「03」で始まる電話番号が書かれている。福井、敦賀市など県内12市町の住民から相談があった。
同様のはがきに関する相談は4月から寄せられるようになり、6〜7月にかけては坂井市内の70代男性が計約2500万円をだまし取られた。
この男性は、はがきに記された連絡先に電話し、弁護士を名乗る男らから「家族が購入した貴金属の代金が未払いになっている。訴訟を取り下げるには供託金を支払う必要がある」などと言われた。十数回に分けて、コンビニで電子マネーカードを購入。カードの利用番号を教えたり、伝えられた住所に現金を送ったりした。
この事件を巡っては、男性が送った現金200万円を受け取ったとして、フィリピン国籍の埼玉県内の男が8月24日、詐欺の疑いで坂井西署などに逮捕されている。
2017年08月30日
書類送検の社長ら「不起訴処分」
無登録の象牙を違法に取引した疑いで書類送検された古物商の社長らについて、東京地検は不起訴処分とした。
東京・台東区の古物商の社長や客ら12人と2つの法人は、無登録の象牙9本、240万円相当を違法に取引した疑いで警視庁に書類送検されたが、東京地検は「証拠を検討した結果」として、いずれも不起訴処分とした。
東京・台東区の古物商の社長や客ら12人と2つの法人は、無登録の象牙9本、240万円相当を違法に取引した疑いで警視庁に書類送検されたが、東京地検は「証拠を検討した結果」として、いずれも不起訴処分とした。
2017年08月29日
「事実認定に誤認」サムスントップ、実刑判決に控訴 刑務官との
韓国の前大統領、朴槿恵(パククネ)被告(65)=収賄罪などで公判中=への贈賄罪などに問われ、ソウル中央地裁で懲役5年の実刑判決を受けたサムスングループの経営トップ、李在鎔(イジェヨン)被告(49)=サムスン電子副会長=が28日、判決を不服として控訴した。
聯合ニュースによると、李被告側は「一審判決は、事実認定に誤認がある」とし、控訴審で全面的に争う姿勢を改めて示した。
地裁は25日、判決で李被告がグループの経営権強化に向けて朴政権の便宜を期待し、朴被告の親友、崔順実(チェスンシル)被告(61)側に計88億ウォン(約8億5千万円)の賄賂を渡したと認定。贈賄罪のほか、横領や国会での偽証など起訴された五つの罪状をすべて有罪とした。
韓国紙によると、李被告は判決後の刑務官との面談で「無罪を期待しており、(判決は)残念だ」などと話したという。
=2017/08/29付 西日本新聞朝刊=
聯合ニュースによると、李被告側は「一審判決は、事実認定に誤認がある」とし、控訴審で全面的に争う姿勢を改めて示した。
地裁は25日、判決で李被告がグループの経営権強化に向けて朴政権の便宜を期待し、朴被告の親友、崔順実(チェスンシル)被告(61)側に計88億ウォン(約8億5千万円)の賄賂を渡したと認定。贈賄罪のほか、横領や国会での偽証など起訴された五つの罪状をすべて有罪とした。
韓国紙によると、李被告は判決後の刑務官との面談で「無罪を期待しており、(判決は)残念だ」などと話したという。
=2017/08/29付 西日本新聞朝刊=
2017年08月25日
粉チーズの「パルメザン100%」表示は不当か、米集団訴訟で棄
【AFP=時事】添加物が入っているにもかかわらず「パルメザン100%」をうたった粉チーズを販売し消費者を欺いたとして、米国内各地で食品・小売り大手各社を相手取って起こされた集団訴訟で、米シカゴ(Chicago)の連邦地裁は24日、このうち1件の訴訟について原告の訴えを棄却した。
原告らは米食品大手クラフト・ハインツ(Kraft Heinz)や、米小売り大手のウォルマート(Wal-Mart)やターゲット(Target)が、添加物を含んだ粉チーズ製品に「パルメザン100%」との不正確な表示をして販売していると主張。実際は粉チーズが塊になるのを防ぐために4〜8%のセルロースが含まれているため、不当表示だと訴えている。
米カリフォルニア(California)州でウォルマート店舗を訴えた原告の一人、マーク・モシェッタ(Marc Moschetta)氏は、「『100%』という表示が虚偽だと知っていたら、高価な」チーズを買うことはなく「もっとずっと安価な商品を購入しただろう」と述べている。
しかし、シカゴで起こされた訴訟についてゲーリー・ファイナマン(Gary Feinerman)連邦判事は、問題とされている粉チーズの表示は「あいまい」で、「不当表示とは断定できない」と判断した。
ファイナマン判事は、「100%パルメザン粉チーズ」との表記について「文字通り、商品の原材料がチーズ100%で他には何も入っていないとも解釈できるが、使用されたチーズが100%パルメザンチーズだとも、パルメザンチーズが100%粉末状になっているという意味にも取れる」と説明。「分別のある消費者」なら、「商品が表示の説明通りだと確認するためさらに情報を必要とするはずだ」「原材料表示を見れば一目瞭然だ」などと述べた。【翻訳編集】 AFPBB News
原告らは米食品大手クラフト・ハインツ(Kraft Heinz)や、米小売り大手のウォルマート(Wal-Mart)やターゲット(Target)が、添加物を含んだ粉チーズ製品に「パルメザン100%」との不正確な表示をして販売していると主張。実際は粉チーズが塊になるのを防ぐために4〜8%のセルロースが含まれているため、不当表示だと訴えている。
米カリフォルニア(California)州でウォルマート店舗を訴えた原告の一人、マーク・モシェッタ(Marc Moschetta)氏は、「『100%』という表示が虚偽だと知っていたら、高価な」チーズを買うことはなく「もっとずっと安価な商品を購入しただろう」と述べている。
しかし、シカゴで起こされた訴訟についてゲーリー・ファイナマン(Gary Feinerman)連邦判事は、問題とされている粉チーズの表示は「あいまい」で、「不当表示とは断定できない」と判断した。
ファイナマン判事は、「100%パルメザン粉チーズ」との表記について「文字通り、商品の原材料がチーズ100%で他には何も入っていないとも解釈できるが、使用されたチーズが100%パルメザンチーズだとも、パルメザンチーズが100%粉末状になっているという意味にも取れる」と説明。「分別のある消費者」なら、「商品が表示の説明通りだと確認するためさらに情報を必要とするはずだ」「原材料表示を見れば一目瞭然だ」などと述べた。【翻訳編集】 AFPBB News
2017年08月24日
<タリウム事件控訴審>元名大生の弁護側、二審も無罪主張
複数の精神障害の影響をどう評価するかが焦点。一審で鑑定医3人の見解が割れており、裁判員が参加しない控訴審の判断が注目される。 弁護側は地裁判決を「責任能力に関する誤った判断を重ねた」と批判。各犯行について「発達障害と双極性障害(そううつ病)が重大な影響を与えた。人の死や焼死体、硫酸タリウムに興味が著しく集中し、行動をコントロールできない精神状態だった」として、心神喪失による無罪を改めて訴えた。 弁護側は被告人質問の実施を求め、認められた。地裁判決後の精神状態や情状を尋ねる見通しで、10月27日の次回公判で実施される。 今年3月の地裁判決は、障害が犯行に与えた影響について「一定程度あったが限定的」と認定。「複数の重大かつ悪質な犯罪に及んでおり、罪は誠に重い」として、求刑通り無期懲役を言い渡した。 地裁判決によると、仙台市内の私立高に通っていた2012年5〜7月、中学と高校の同級生男女2人に硫酸タリウムを飲ませ、殺害しようとした。14年12月には名古屋市昭和区の自宅アパートで知人の森外茂子(ともこ)さん=当時(77)=を殺害。6日後に帰省先の仙台市で青葉区の女性方に放火、住民3人の殺害を図った。
2017年08月22日
冤罪を訴え続ける死刑囚の妻「最後まで付き合うしかない」…逮捕
現在、全国の刑事施設に収容されている120人余りの死刑囚の中には、冤罪を訴えている者も少なくない。ここで紹介する高橋和利死刑囚(83)もその1人だ。
1988年に横浜市鶴見区で金融業や不動産業を営む男性とその妻が殺害された「鶴見事件」で、高橋死刑囚は強盗殺人の罪に問われ、2006年に死刑が確定した。しかし裁判では、殺人について一貫して無実を主張しており、死刑確定後も裁判のやり直し(再審)を求め続けている。
そんな高橋死刑囚の妻・京子さん(83)が取材に応じ、夫がある日突然逮捕されてから29年余りの激動の日々を振り返った。(ルポライター・片岡健)
●警察は自分のことまで疑っていた
高橋死刑囚は事件前、横浜市戸塚区で小さな電気工事会社を営んでいた。会社の経営は決して順調ではなかったが、京子さんによると、高橋死刑囚は「働くことを苦にせず、あまり自分のために金を使わない人」だったという。夫婦の間に子どもはいなかったが、事情があって引き取った京子さんのおい2人を実子のように育て、4人で平穏に暮らしていた。
しかし1988年7月1日、高橋死刑囚が強盗殺人の容疑で逮捕され、家族の生活は一気に暗転した。京子さんは夫が逮捕されたと知った時、どんな思いを抱いたかを記憶していない。警察が自分のことまで疑ってきたため、わけがわからなくなってしまったのだ。
「お前も手伝っただろう」「1人ではできない犯行なんだ」「どうやって殺した?」
夫が逮捕された日から20日余り、京子さんも連日、朝から晩まで刑事から共犯者扱いの取り調べをうけた。「お前のことはずっと見ているからな」。取り調べの最後の日、刑事に投げつけられた言葉は今も強烈に印象に残っているという。
「あの取り調べのせいで6年くらいは頭がおかしいままの状態でした」と京子さん。のちに夫の裁判では、弁護側が現場や遺体の状況などを根拠に「1人では無理な犯行」と主張した。この時、「だから警察は自分を共犯者にしたがったのか」と思ったが、当初は自分まで疑われた理由を考える余裕はなかったという。
●夫のことばかり心配していられなかった
裁判では冤罪を訴えた高橋死刑囚だが、逮捕当初は容疑を全面的に認めていた。その理由について、京子さんは高橋死刑囚から「刑事に『本当のことは裁判で話せばいい』と言われたからだ」と説明されたが、それはずっと後のことだ。当初は面会中に事件に関する話は許されなかったし、手紙でも事件に関することを書くと、その部分は黒く塗りつぶされていたためだ。
それでも、京子さんは当初から夫は殺人などしていないと思っていたという。
「高橋は、窓から入ってきたカマキリの子供が会社の事務机の上にいるのを見て、追い払うことができずに困っているような人でした。このような事件を起こすとはとても思えなかったのです。じきに何かの間違いだとわかり、帰ってこられるものだとばかり思っていました」
横浜地裁であった第一審の公判も毎回傍聴に通ったが、有罪の証拠は無いように思えた。だから判決は「無罪」になると思い込んでいた。そのぶん死刑判決が出た時はショックが大きかったという。
もっとも、京子さんは「正直、高橋のことばかり心配していられなかったんです」とも語る。
事件前、京子さんは電話番など高橋死刑囚の会社の手伝いをしていたが、高橋死刑囚の逮捕後は生活費を稼ぐためにパン工場で働いたり、清掃の仕事をしたりした。その合間におい2人の生活の面倒をみたり、高橋死刑囚の面会に通って洗濯物などの世話もしなければならなかった。日々の生活を乗り切るだけで精一杯だったのだ。
そんな生活の中、ありがたかったのは周囲の人たちの気づかいだ。家の前で知らない人が「ここだ」と言っていることなどはあったが、事件前から知り合いだった人たちの多くは事件後も変わらず、普通に接してくれていた。「おかげで肩身の狭い思いはせずに済みました」。今も感謝しているという。
●「お供する運命だったんでしょう」
じきに帰ってくると思っていた夫は帰ってこないまま、今年7月で29年の歳月が過ぎた。この間、夫婦の関係は常に良好だったわけではない。形式的にでも離婚し、苗字を変えたほうががいいのではないかと考えたこともあったという。
しかし結局、そうはせず、死刑囚となった夫の帰りを妻として待ち続けてきた。その理由を尋ねると、少し考え、こう話した。
「高橋は生活が苦しい中、おいっ子2人の春休みと夏休みにはみんなを旅行に連れて行ってくれていましたし、私の母が(私の)弟のお嫁さんとそりが合わずに家出してきた時も嫌な顔一つせず、一年くらい家に置いてくれました。なんだかんだで面倒をみてくれましたから」
上のおいが結婚した際、報告のために面会に訪ねたところ、高橋死刑囚は「こんな状況で何もしてやれなくて申し訳ない」と泣いていたと聞かされた。そんな諸々のことを思い返すと、離婚という選択には至らなかったという。
高橋死刑囚の再審については、「今さら認められるのは難しいでしょう」というのが正直な思いだ。一方で「最近も再審が認められた人がいたし、ひょっとしたら・・・」という思いもないわけではないという。いずれにせよ、ここまできたら最後まで夫に付き合うしかないだろうと思っている。
最後に、この29年を振り返ってどう思うかと聞くと、達観したようにこう言った。
「何事も縁ですから。高橋とはお供する運命だったんでしょう」
【鶴見事件とは】1988年6月、横浜市鶴見区で金融業と不動産業を営む男性(当時65)とその妻(同60)が事務所で殺害され、1200万円を奪われたとされる事件。取り調べで容疑を認めた高橋死刑囚は公判で自白を撤回し、「融資を受けるために被害者の事務所を訪ねたら、2人が殺害されていた。その場にあったビニール袋の札束に目がくらみ、持ち逃げしてしまった」と金を盗んだことを認めつつ、殺人は無実だと訴えた。しかし裁判では、捜査段階の自白が信用され、2006年に死刑が確定。高橋死刑囚はその後、横浜地裁に再審を請求し、2012年に棄却されたが、現在は東京高裁に即時抗告している。
【プロフィール】
片岡健(かたおか・けん)
ルポライター。1971年生まれ。大学卒業後、フリーのライターに。全国各地で新旧様々な事件を取材している。編著に「絶望の牢獄から無実を叫ぶ ―冤罪死刑囚八人の書画集―」(鹿砦社)。広島市在住。
1988年に横浜市鶴見区で金融業や不動産業を営む男性とその妻が殺害された「鶴見事件」で、高橋死刑囚は強盗殺人の罪に問われ、2006年に死刑が確定した。しかし裁判では、殺人について一貫して無実を主張しており、死刑確定後も裁判のやり直し(再審)を求め続けている。
そんな高橋死刑囚の妻・京子さん(83)が取材に応じ、夫がある日突然逮捕されてから29年余りの激動の日々を振り返った。(ルポライター・片岡健)
●警察は自分のことまで疑っていた
高橋死刑囚は事件前、横浜市戸塚区で小さな電気工事会社を営んでいた。会社の経営は決して順調ではなかったが、京子さんによると、高橋死刑囚は「働くことを苦にせず、あまり自分のために金を使わない人」だったという。夫婦の間に子どもはいなかったが、事情があって引き取った京子さんのおい2人を実子のように育て、4人で平穏に暮らしていた。
しかし1988年7月1日、高橋死刑囚が強盗殺人の容疑で逮捕され、家族の生活は一気に暗転した。京子さんは夫が逮捕されたと知った時、どんな思いを抱いたかを記憶していない。警察が自分のことまで疑ってきたため、わけがわからなくなってしまったのだ。
「お前も手伝っただろう」「1人ではできない犯行なんだ」「どうやって殺した?」
夫が逮捕された日から20日余り、京子さんも連日、朝から晩まで刑事から共犯者扱いの取り調べをうけた。「お前のことはずっと見ているからな」。取り調べの最後の日、刑事に投げつけられた言葉は今も強烈に印象に残っているという。
「あの取り調べのせいで6年くらいは頭がおかしいままの状態でした」と京子さん。のちに夫の裁判では、弁護側が現場や遺体の状況などを根拠に「1人では無理な犯行」と主張した。この時、「だから警察は自分を共犯者にしたがったのか」と思ったが、当初は自分まで疑われた理由を考える余裕はなかったという。
●夫のことばかり心配していられなかった
裁判では冤罪を訴えた高橋死刑囚だが、逮捕当初は容疑を全面的に認めていた。その理由について、京子さんは高橋死刑囚から「刑事に『本当のことは裁判で話せばいい』と言われたからだ」と説明されたが、それはずっと後のことだ。当初は面会中に事件に関する話は許されなかったし、手紙でも事件に関することを書くと、その部分は黒く塗りつぶされていたためだ。
それでも、京子さんは当初から夫は殺人などしていないと思っていたという。
「高橋は、窓から入ってきたカマキリの子供が会社の事務机の上にいるのを見て、追い払うことができずに困っているような人でした。このような事件を起こすとはとても思えなかったのです。じきに何かの間違いだとわかり、帰ってこられるものだとばかり思っていました」
横浜地裁であった第一審の公判も毎回傍聴に通ったが、有罪の証拠は無いように思えた。だから判決は「無罪」になると思い込んでいた。そのぶん死刑判決が出た時はショックが大きかったという。
もっとも、京子さんは「正直、高橋のことばかり心配していられなかったんです」とも語る。
事件前、京子さんは電話番など高橋死刑囚の会社の手伝いをしていたが、高橋死刑囚の逮捕後は生活費を稼ぐためにパン工場で働いたり、清掃の仕事をしたりした。その合間におい2人の生活の面倒をみたり、高橋死刑囚の面会に通って洗濯物などの世話もしなければならなかった。日々の生活を乗り切るだけで精一杯だったのだ。
そんな生活の中、ありがたかったのは周囲の人たちの気づかいだ。家の前で知らない人が「ここだ」と言っていることなどはあったが、事件前から知り合いだった人たちの多くは事件後も変わらず、普通に接してくれていた。「おかげで肩身の狭い思いはせずに済みました」。今も感謝しているという。
●「お供する運命だったんでしょう」
じきに帰ってくると思っていた夫は帰ってこないまま、今年7月で29年の歳月が過ぎた。この間、夫婦の関係は常に良好だったわけではない。形式的にでも離婚し、苗字を変えたほうががいいのではないかと考えたこともあったという。
しかし結局、そうはせず、死刑囚となった夫の帰りを妻として待ち続けてきた。その理由を尋ねると、少し考え、こう話した。
「高橋は生活が苦しい中、おいっ子2人の春休みと夏休みにはみんなを旅行に連れて行ってくれていましたし、私の母が(私の)弟のお嫁さんとそりが合わずに家出してきた時も嫌な顔一つせず、一年くらい家に置いてくれました。なんだかんだで面倒をみてくれましたから」
上のおいが結婚した際、報告のために面会に訪ねたところ、高橋死刑囚は「こんな状況で何もしてやれなくて申し訳ない」と泣いていたと聞かされた。そんな諸々のことを思い返すと、離婚という選択には至らなかったという。
高橋死刑囚の再審については、「今さら認められるのは難しいでしょう」というのが正直な思いだ。一方で「最近も再審が認められた人がいたし、ひょっとしたら・・・」という思いもないわけではないという。いずれにせよ、ここまできたら最後まで夫に付き合うしかないだろうと思っている。
最後に、この29年を振り返ってどう思うかと聞くと、達観したようにこう言った。
「何事も縁ですから。高橋とはお供する運命だったんでしょう」
【鶴見事件とは】1988年6月、横浜市鶴見区で金融業と不動産業を営む男性(当時65)とその妻(同60)が事務所で殺害され、1200万円を奪われたとされる事件。取り調べで容疑を認めた高橋死刑囚は公判で自白を撤回し、「融資を受けるために被害者の事務所を訪ねたら、2人が殺害されていた。その場にあったビニール袋の札束に目がくらみ、持ち逃げしてしまった」と金を盗んだことを認めつつ、殺人は無実だと訴えた。しかし裁判では、捜査段階の自白が信用され、2006年に死刑が確定。高橋死刑囚はその後、横浜地裁に再審を請求し、2012年に棄却されたが、現在は東京高裁に即時抗告している。
【プロフィール】
片岡健(かたおか・けん)
ルポライター。1971年生まれ。大学卒業後、フリーのライターに。全国各地で新旧様々な事件を取材している。編著に「絶望の牢獄から無実を叫ぶ ―冤罪死刑囚八人の書画集―」(鹿砦社)。広島市在住。
2017年08月18日
シャヒン、ドルト復帰やバス事件の裏側を語る…クロップが見せた
トルコ代表MFヌリ・シャヒンがドルトムントとの“真実の愛”、レアル・マドリード移籍やドルトムント復帰の裏側を明かした。
シャヒンは14日、アスリートの生の声を届けるメディア『プレイヤーズ・トリビューン(The Player's Tribune)』に寄稿。ツイッターに「シーズンが始まる前に、1つのストーリーを共有したい」と投稿し、『Echte Liebe』(ドイツ語で、真実の愛の意。ドルトムントのモットー。)というタイトルの文章を紹介した。
生粋の“フットボールオタク”というシャヒンは、ドルトムントの下部組織で育った。念願のプロデビューを飾ると、本拠地ジグナル・イドゥナ・パルクにできる“黄色の壁”を見上げた。そこは自分の家以上の存在であり、自分の人生だった。しかし同時に、幼い頃に抱いたレアル・マドリードへの憧れを捨てることができなかった。ボールボーイを務めたドルトムント対レアル・マドリードの試合で、シャヒンはルールを破って選手に近づいた。銀河系軍団の白いユニフォームに触れて、シャヒン少年は「いつかこのチームでプレーする」と誓った。
唐突に舞い込んだ代理人からのレアル・マドリードへの移籍話。愛するクラブでブンデスリーガを制覇したシャヒンは幸せの中にいた。もうすぐ新しい命が生まれるという状況で、シャヒンは悩んだ。ユルゲン・クロップ監督との忘れられない会話を経て、マドリードに行くことを決めた。しかし異国での新生活は望んだようにはいかない。
「妊娠4カ月だった妻と一緒にマドリードに行った。それはどこか人生をやり直すようなものだった。スペイン語は話せたけど、妊婦が異国で生活することは簡単ではなかった。そして初めての練習でケガをしてしまった。スペインでの生活は思ったようには始まらなかった」
「2011年の9月、僕たちに子供が誕生した。元気な男の子だった。父親になれることを感謝した。僕の母や義理の母もマドリードまで訪ねてきてくれたが、彼女たちが居る間、どれだけあの街に恋い焦がれていたか気づかされた。ドルトムントはただの街やクラブではなく、とても大事な人たちがいる場所だった」
「復帰のためにできる限りを尽くした。しかしレアル・マドリードは順調にポイントを積み重ねていて、良い状態のチームに入るには簡単なことではなかった。僕は6カ月間離脱した。復帰まであとわずかに迫ったとき、ドルトムントが電話をくれて、戻る気はないかと尋ねてきた。ただ諦める訳にはいかなかった。あのときのレベルに戻るため、リヴァプールにレンタルで行くことを選んだ」
「イングランドではさらに故郷から遠ざかっているように感じた。上手く、フットボールができなかった。何かがフットボールから失われていた。なぜだか理解できなかった。ふと、答えが降ってきたような気がした。フットボールは何一つ欠けていなかった。失ったのは、僕の人生だった。再びドルトムントで、家族の一員にならなくてはと感じた。そこにいる人たちこそが、僕がプレーする理由だった」
「代理人が何回か電話を掛けてくれた。数週間して、僕は家路についていた」
「あの“黄色い壁”がどう受け入れてくれるかは正直分からなかった。レアル・マドリードへの移籍が彼らを傷つけたことも分かっていた。復帰して初めての試合は途中から出場した。サイドライン際でウォーミングアップをして、ピッチに入ろうかというときに、ユルゲンが僕を呼んだ」
『ヌリ、目を閉じてみろ。聞こえるか?』
「黄色の壁を向いて、目を閉じた。彼らは僕の名を歌っていた」
「『みんな、君を嫌いになったと思っていたよ』とユルゲンはそう言ってあの豪快な笑顔を見せた。それから僕の髪をもみくちゃにして、ピッチへポンッと背中を押した。スタジアムは爆発しそうだった」
「僕は理解した。ドルトムントのみんなと僕の結びつきは、誰にも壊せない」
「“Echte liebe” これは真実の愛、いかなるときも愛する、ということを意味する。これがドルトムントの魂であり、強さの源だ」
「そしてそれをあのバス襲撃事件のあとに強く感じた」
「僕たちはあの次の日に試合をしなくてはならなかった。分かって欲しい。ボルシア・ドルトムントのためにチャンピオンズリーグを戦うことずっと夢見てきた。どの試合だって僕には特別なものだった。それが僕がピッチに立つ理由だった。でもその夜は…違った。試合前はまともに集中することができなかった。ずっと、息子と妻のことを考えていた。彼らは大丈夫か? 僕が家に居た方が良かったかな? 僕は散り散りだった」
「ピッチにでて、いつも通り、黄色の壁を見上げた。その夜、今まで見たもので一番、美しいものを見た。みんなが一体となって、スタンドの一番上から一番下の人まで“BVB”の文字を作り上げていた。ただひたすら、美しかった。そしてそれは、ほんの少しかも知れないけど、『きっと全部、うまくいく』と思わせてくれた」
「その試合の最初はベンチに座っていた。後半に出るまで、試合のことは考えられなかった。家に帰って、家族に会いたかった。スタジアムのみんなに家に戻って、愛する人と過ごして欲しかった。試合に入ってようやく集中できたが、それはいつもとは違った。今までで一番難しい試合だった」
「家に着いたとき、妻が昨日のことについて話したいかと聞いてきた。僕はあの事件が僕の一部になったと伝えた。あのバスでの出来事は一生僕について回る。あれは僕という人間を変えてしまった。これからの自分も」
「あの瞬間の恐怖は一生忘れることができない。ただ同時にクラブと街の対応をとても誇りに思う。モナコのファンの温かさ、街の連帯、事件から24時間も経っていない状況でのスタジアムのサポート。ただただ素晴らしかった。」
「僕たちみんなが知っていたからできた」
「愛すること、いついかなるときも」
「Echte liebe」
ヌリ・シャヒン
シャヒンは14日、アスリートの生の声を届けるメディア『プレイヤーズ・トリビューン(The Player's Tribune)』に寄稿。ツイッターに「シーズンが始まる前に、1つのストーリーを共有したい」と投稿し、『Echte Liebe』(ドイツ語で、真実の愛の意。ドルトムントのモットー。)というタイトルの文章を紹介した。
生粋の“フットボールオタク”というシャヒンは、ドルトムントの下部組織で育った。念願のプロデビューを飾ると、本拠地ジグナル・イドゥナ・パルクにできる“黄色の壁”を見上げた。そこは自分の家以上の存在であり、自分の人生だった。しかし同時に、幼い頃に抱いたレアル・マドリードへの憧れを捨てることができなかった。ボールボーイを務めたドルトムント対レアル・マドリードの試合で、シャヒンはルールを破って選手に近づいた。銀河系軍団の白いユニフォームに触れて、シャヒン少年は「いつかこのチームでプレーする」と誓った。
唐突に舞い込んだ代理人からのレアル・マドリードへの移籍話。愛するクラブでブンデスリーガを制覇したシャヒンは幸せの中にいた。もうすぐ新しい命が生まれるという状況で、シャヒンは悩んだ。ユルゲン・クロップ監督との忘れられない会話を経て、マドリードに行くことを決めた。しかし異国での新生活は望んだようにはいかない。
「妊娠4カ月だった妻と一緒にマドリードに行った。それはどこか人生をやり直すようなものだった。スペイン語は話せたけど、妊婦が異国で生活することは簡単ではなかった。そして初めての練習でケガをしてしまった。スペインでの生活は思ったようには始まらなかった」
「2011年の9月、僕たちに子供が誕生した。元気な男の子だった。父親になれることを感謝した。僕の母や義理の母もマドリードまで訪ねてきてくれたが、彼女たちが居る間、どれだけあの街に恋い焦がれていたか気づかされた。ドルトムントはただの街やクラブではなく、とても大事な人たちがいる場所だった」
「復帰のためにできる限りを尽くした。しかしレアル・マドリードは順調にポイントを積み重ねていて、良い状態のチームに入るには簡単なことではなかった。僕は6カ月間離脱した。復帰まであとわずかに迫ったとき、ドルトムントが電話をくれて、戻る気はないかと尋ねてきた。ただ諦める訳にはいかなかった。あのときのレベルに戻るため、リヴァプールにレンタルで行くことを選んだ」
「イングランドではさらに故郷から遠ざかっているように感じた。上手く、フットボールができなかった。何かがフットボールから失われていた。なぜだか理解できなかった。ふと、答えが降ってきたような気がした。フットボールは何一つ欠けていなかった。失ったのは、僕の人生だった。再びドルトムントで、家族の一員にならなくてはと感じた。そこにいる人たちこそが、僕がプレーする理由だった」
「代理人が何回か電話を掛けてくれた。数週間して、僕は家路についていた」
「あの“黄色い壁”がどう受け入れてくれるかは正直分からなかった。レアル・マドリードへの移籍が彼らを傷つけたことも分かっていた。復帰して初めての試合は途中から出場した。サイドライン際でウォーミングアップをして、ピッチに入ろうかというときに、ユルゲンが僕を呼んだ」
『ヌリ、目を閉じてみろ。聞こえるか?』
「黄色の壁を向いて、目を閉じた。彼らは僕の名を歌っていた」
「『みんな、君を嫌いになったと思っていたよ』とユルゲンはそう言ってあの豪快な笑顔を見せた。それから僕の髪をもみくちゃにして、ピッチへポンッと背中を押した。スタジアムは爆発しそうだった」
「僕は理解した。ドルトムントのみんなと僕の結びつきは、誰にも壊せない」
「“Echte liebe” これは真実の愛、いかなるときも愛する、ということを意味する。これがドルトムントの魂であり、強さの源だ」
「そしてそれをあのバス襲撃事件のあとに強く感じた」
「僕たちはあの次の日に試合をしなくてはならなかった。分かって欲しい。ボルシア・ドルトムントのためにチャンピオンズリーグを戦うことずっと夢見てきた。どの試合だって僕には特別なものだった。それが僕がピッチに立つ理由だった。でもその夜は…違った。試合前はまともに集中することができなかった。ずっと、息子と妻のことを考えていた。彼らは大丈夫か? 僕が家に居た方が良かったかな? 僕は散り散りだった」
「ピッチにでて、いつも通り、黄色の壁を見上げた。その夜、今まで見たもので一番、美しいものを見た。みんなが一体となって、スタンドの一番上から一番下の人まで“BVB”の文字を作り上げていた。ただひたすら、美しかった。そしてそれは、ほんの少しかも知れないけど、『きっと全部、うまくいく』と思わせてくれた」
「その試合の最初はベンチに座っていた。後半に出るまで、試合のことは考えられなかった。家に帰って、家族に会いたかった。スタジアムのみんなに家に戻って、愛する人と過ごして欲しかった。試合に入ってようやく集中できたが、それはいつもとは違った。今までで一番難しい試合だった」
「家に着いたとき、妻が昨日のことについて話したいかと聞いてきた。僕はあの事件が僕の一部になったと伝えた。あのバスでの出来事は一生僕について回る。あれは僕という人間を変えてしまった。これからの自分も」
「あの瞬間の恐怖は一生忘れることができない。ただ同時にクラブと街の対応をとても誇りに思う。モナコのファンの温かさ、街の連帯、事件から24時間も経っていない状況でのスタジアムのサポート。ただただ素晴らしかった。」
「僕たちみんなが知っていたからできた」
「愛すること、いついかなるときも」
「Echte liebe」
ヌリ・シャヒン
2017年08月17日
“美女ファイター”ソン・ガヨン、”二重契約”裁判で再び敗訴
二重契約問題の中心にいる韓国の“美女ファイター”ソン・ガヨン(22)が、総合格闘技会社(株)ロードを相手に起こした契約効力停止などの仮処分訴訟で敗訴した。
ソウル中央地裁は、ソン・ガヨンが(株)ロードを相手に起こした仮処分訴訟で、「債権者と債務者が2013年12月1日に締結した専属契約の効力が有効である」と決定づけた。
この仮処分申請でソン・ガヨンは、問題の選手契約は(株)ロード側が優越的地位を悪用し、格闘技大会に出場しようとする本人の基本権を侵害する行為であり、善良な風俗とそのほか社会秩序に反しており、無効であると主張。
しかし、裁判所は「この件における選手契約が、善良な風俗とそのほか社会秩序に反すると見ることはできない」と判断した。続けて「細部契約内容も、不公正だと見ることはできない」と説明。今回の決定により、ソン・ガヨンはロードFCでの選手活動に関して、異議を提起することができなくなった。
ソウル中央地裁は、ソン・ガヨンが(株)ロードを相手に起こした仮処分訴訟で、「債権者と債務者が2013年12月1日に締結した専属契約の効力が有効である」と決定づけた。
この仮処分申請でソン・ガヨンは、問題の選手契約は(株)ロード側が優越的地位を悪用し、格闘技大会に出場しようとする本人の基本権を侵害する行為であり、善良な風俗とそのほか社会秩序に反しており、無効であると主張。
しかし、裁判所は「この件における選手契約が、善良な風俗とそのほか社会秩序に反すると見ることはできない」と判断した。続けて「細部契約内容も、不公正だと見ることはできない」と説明。今回の決定により、ソン・ガヨンはロードFCでの選手活動に関して、異議を提起することができなくなった。
2017年08月16日
イオ信組の業務を妨害した男に有罪判決、裁判官が説諭
朝鮮総連系の朝銀中部信組などから事業を引き継いだ金融機関「イオ信組」の支店で、火の付いた布を投げたとして、威力業務妨害などの罪に問われた無職蛸島明被告(66)=愛知県東海市=の判決が16日、名古屋地裁であった。西山志帆裁判官は「従軍慰安婦問題への韓国の対応をよく思っていなかったという動機は極めて独善的」として、懲役2年執行猶予4年(求刑懲役2年)を言い渡した。
判決によると、蛸島被告は同信組が韓国系の金融機関と思い込み、5月23日午後1時20分ごろ、名古屋市南区の同信組大江支店で火のついた布と灯油が入った容器をカウンター内に投げ込み、業務を妨害した。
西山裁判官は「このような手段で自分の考えを通そうとするのは間違いです」と説諭した。
法廷で取材したジャーナリストの安田浩一さんは「在日コリアンを標的とした明らかなヘイトクライム(憎悪犯罪)だと思う。社会に警鐘を鳴らす意味でも、判決では、動機の人種差別的側面にも言及して欲しかった」と話した。
判決によると、蛸島被告は同信組が韓国系の金融機関と思い込み、5月23日午後1時20分ごろ、名古屋市南区の同信組大江支店で火のついた布と灯油が入った容器をカウンター内に投げ込み、業務を妨害した。
西山裁判官は「このような手段で自分の考えを通そうとするのは間違いです」と説諭した。
法廷で取材したジャーナリストの安田浩一さんは「在日コリアンを標的とした明らかなヘイトクライム(憎悪犯罪)だと思う。社会に警鐘を鳴らす意味でも、判決では、動機の人種差別的側面にも言及して欲しかった」と話した。
2017年08月15日
夫のバイオリン54丁破壊か、元妻を起訴 名古屋地検
名古屋地検は14日、中国籍の楽器販売業河宮碧(みどり)容疑者(34)=東京都江東区=を住居侵入と器物損壊の罪で起訴したと発表した。
起訴状などによると、河宮容疑者は2014年1月30日〜2月19日ごろ、名古屋市中村区の当時の夫=現在は離婚=宅に、掃き出し窓から侵入。夫が所有・管理するバイオリン54丁と弓70本(計約1561万円相当)を壊したとされる。
夫は警察に対し、被害額について計1億590万円と申告していた。
起訴状などによると、河宮容疑者は2014年1月30日〜2月19日ごろ、名古屋市中村区の当時の夫=現在は離婚=宅に、掃き出し窓から侵入。夫が所有・管理するバイオリン54丁と弓70本(計約1561万円相当)を壊したとされる。
夫は警察に対し、被害額について計1億590万円と申告していた。